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きじむなーのゆうちゃん
翁長雄志(おながたけし)那覇市長の思いを聞きました。何故政治家を目指したのか?から始まり、今の政治情勢をわかりやすく話して頂きました。政治に一生懸命!
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2008年11月08日

「命を懸けて政治に臨む」オナガ雄志の本音

とことん改革!那覇市長、翁長雄志(オナガタケシ)公式サイト





 市民の皆さん、こんにちは、いよいよ那覇市の戦いがあと10日程に迫ってきました。私は2期8年間一生懸命頑張って参りましたが、3期目への挑戦を控えて、改めて皆様方に告示前の最後のメッセージを送りたいと思います。

 これまでも話してきましたが、2期目を振り返ってみますと「職員の意識改革を通じて市役所の信頼を取り戻したい。」そこからスタート致しました。そしてその上で協働のまちづくりも、今日まで進めて参りました。特に印象深いのは、市民の皆様方が「市役所は本当に親切になった、明るくなった、職員の対応が良くなった」とおっしゃることで、私にとってまちづくりの大きな励みとなっております。

 ゴミ問題の解決にも、市民の皆様方に大きな関心を示していただき、「これからも環境問題にしっかり取り組んでくれ」という機運が盛り上がって参りました。おかげで市民の皆様方の、ゴミ問題を通じて地球温暖化を始めとする環境問題への認識が大変高くなり、環境行政では沖縄県で那覇市がナンバーワンを走っているのではないかと思います。

 私が1期目から取り組んで参りました屋上緑化、壁面緑化が、那覇のあちこちに見られるようになりました。また、那覇市の行政施設は新築する際には屋上緑化、壁面緑化を取り入れております。そして、今年から那覇市が音頭を取って全国の都市に発信した「緑のカーテン事業」。学校等を屋上緑化・壁面緑化する事によって西日を防ぎ、クーラーの温度設定も高めにして省エネを心がけ、子ども達に地球温暖化問題を始めとする環境問題について考えてもらう。このような取り組みが徐々に増えてきております。また那覇市のみならず、全国でもゴーヤーやヘチマを使っての緑のカーテン事業が広がりをみせています。 

 緑のカーテン事業を通じて那覇市民の皆様方が環境問題に関心を持ったことに始まり、日本の中でも先進的な取り組みを始めた事例としてマイバック運動があります。これは、那覇市が提案し、新都心地区を初めとするすべてのスーパーで取り組んでもらいました。

 これまで、レジ袋で買い物をするのはごく当たり前の事でした。また、レジ袋というのは中々使い勝手が良く、そのためマイバック運動への市民の皆様の賛否は半々ほどだろうと思っておりました。

 しかし結果は予想に反して、アンケート調査で9割以上の方から「マイバック運動は続けるべき」という賛同の声を頂きました。これは、那覇市民の見識の高さだと思っています。私は、この市民の意識の高さにこそ21世紀のまちづくりの根幹があると考え、そしてこの意識に支えられた地域力、市民力が町づくりの基礎を形作っていくものだと思っています。





 いま、中国やインドなどの発展途上国の経済的台頭が顕著になっています。彼らも日本や欧米と同じ生活をしたいと頑張っていますから、今や車の排気ガス含め二酸化炭素の排出は大変なものがあります。地球上の3分の2といわれている発展途上国の人達が豊かな生活を目指し続けていくと、すべての人類が富を得られるのでしょうか。

 このように地球レベルのことまで含めると、私は町づくりの中に環境問題を組み込むことが、産業の在り方よりもずっと影響を及ぼすと思います。そして、環境問題を中心として福祉や教育など様々な分野で、市民が市民を支えあう、市民が市民を助けあう協働のまちづくりを進めていく。このことによって私は、日本一の那覇市が築いていけるのではないか、風格ある那覇市が築いていけるのではないか。と思うわけです。

 3期目への就任が叶ったあかつきには、2期8年間の「協働のまちづくり」を「協働のまち」へ完成させることを目指してゆきたいと考えています。協働のまちでの市民の生活を考えますとワクワクしてきますし、本当にまちづくりに挑戦をしているのだなという新たな気持ちが私の心の中に湧いてきて、市民と一体となって、この新しいまちづくりに挑戦をしていきたいという原動力になります。





 これまでに私は、飛び出せ市長室、出前トークなどで市民との対話を何百回も行ってきました。自治会を始めとして多くの方々がそれを経験されていると思います。そういう中で色々な話をさせて頂きましたが、3期目を迎えられましたら、那覇市民大学を創設したいと思います。これは、年間40週開設して、そのほとんどすべてに、私が講師になり市民の皆さん方と、環境問題を含め行財市政改革、町づくり等について、議論を交わしながら新しいまちづくりを新たに考えていく契機にもしたいと思っております。この議論・対話を通じて市民と行政が一体となり、私自身も先頭に立ってまちづくりに取り組む。新たな時代が展開すると思っております。どうか3期目にかける私の思いをご理解頂きまして、共々に手をたずさえながら、風格ある日本一の那覇市を目指していきましょう。ご協力を宜しくお願い申し上げまして、最後のメッセージとさせていただきます。  
Posted by きじむなーのゆうちゃん at 21:48答えて!教えて!聞かせて!!

2008年11月07日

新聞が書かない、ゴミ問題の本音を城間俊安南風原町長が語る!

とことん改革!那覇市長、翁長雄志(オナガタケシ)公式サイト




 翁長雄志後援会 女性部総決起大会 10月20日(月)パシフィックホテル19時



城間俊安南風原町長挨拶

皆さんこんばんは。冒頭で稲嶺前県知事からお褒めいただき恐縮しております。

どうして私がこの場に、市町村長の代表として参加しているかと申しますと、那覇市と南風原町のゴミ施設、環境問題において切っても切れない関係があるからです。

南風原町民は那覇市民に対し心の底から怒りを持っていました。南風原町にはゴミ施設、最終処分場があります。ゴミ施設については協定があるものの、「協定は協定であり、履行されたものはなにもない」という状態でした。

例えば最終処分場ではサンドイッチ法、つまりゴミを埋め、土をかぶせて、その上にゴミを敷きさらに土をかぶせるという処理方法が協定で決まっていましたが、履行されたことは一度もありませんでした。実際に行われていたのは、ゴミの上に燃やした灰をかぶせて、その上にゴミを敷き、さらにその上に灰をかぶせるということでした。大雨が降るたびに蠅がたかり異常発生する状況でした。「協定を履行してくれ」とお願いしても、最終処分場は聞くだけで実行しない状態が続きました。

最終処分場から醤油のような汚水が大雨のたびに南風原の河川に流れました。これを「浄化して欲しい」と要望しましたが、「これだけの大量の汚水は処理施設の規模が小さいからできない」とのことでした。これもいつもたらいまわしの状態でした。醤油のような汚水を河川に流すというのは、環境の面からもいかがなものかと思います。

 しかし、この問題を解決したのは翁長市長であります。

 「これだけ深刻であれば」と実際ゴミ処理場の現場を見て、「サンドイッチ法なら蠅は発生せず、問題も解決するということなら、即実行しましょう」と言って、翁長市政誕生して本当に即行動に移したのが翁長雄志市長でした。



 「那覇市民が南風原町に迷惑をかけていることは、きっちり解決していきます。処理施設が小さければ大きな施設を入れましょう」と言って即、8,000万円かけて大きな施設を設置していただきました。今ではいつでもきれいな水が流れています。これも翁長市長のおかげです。





 皆さん、翁長雄志市長のように実行できるかどうかです。

 学者や専門家に金を出してお願いすれば絵を描くことは容易くできますが、これを本当に生活と密着した視点で行動に移し、解決できるのは翁長市長しかいません。翁長市長だからこそできるのです。

 以前のゴミ処理場はいわゆる「コンポスト」のようで、周囲に悪臭が立ち込めていました。開邦高校から処理場へつながる道は、パッカー車が通るとゴミが舞う状態でした。当時は「清掃します」といいながら、1年に一度か二度は清掃したかもしれませんが、そのまま放置しているようでした。

 これも翁長市長が「私がきれいな道にします」と言って行動に移し、解決したのです。

 現在、ゴミ処理場は環境クリーンセンターと呼ばれますが、まさに「クリーンセンター」そのものです。今はパッカー車が処理場に入ってくると、即シャットアウトして臭いが外にもれないようにしっかり整備しています。処理場につながる道もいつもきれいに保たれています。近隣の開邦高校に行っても臭いはしないと思います。おそらく開邦高校の学生さんたちも喜んでいると思います。

 こうして実行、行動を起こす方こそ翁長市長です。

 翁長市長の緻密で、粘り強い行動が今のゴミ処理場の建設につながったと言えます。

 こういうエピソードがあります。当時、翁長市長は「ゴミ処理場を建設させてください」と南風原町の地域の皆さんにお願いに伺ったのですが、地域に入ることもできないぐらいバッシングを受けました。地域の方々からは「皆さんは口先だけで実行しない。過去のことをちゃんと清算してから説明しなさい」と叱られるだけでした。私もそうでしたが、翁長市長も本当は行きたくなかったと思います。そのぐらいバッシングを受けました。

 しかしながら、「南風原の地域の皆さんに、私たちが迷惑かけていることについては、市議会以外の日には、はどんな会合でも最優先して責任を持って説明に伺います」と言って、翁長市長は再三再四、どんな大きな会合にも、10名、20名のどんな小さな会合にも足を運んで説明したのです。

 翁長市長は50回も100回も、とにかく何回も会合を開き、説明に伺ったのです。しかし、その度にいつも苦言ばかり。今日行って叱られ、明日行っても叱られ、褒められることは一度もありませんでした。しかし「過去を清算するために行動する、実行する」という翁長市長の姿勢が、地域の皆さんの心境に変化を与えたようでした。





環境クリーンセンターがある東新川地域においての出来事です。

会合のたびに非情なほど苦言があった地域でした。ところが、最後の最後に「私たちは建設に反対ですが、市長の考えは理解できます」とおっしゃったのです。そして「今日はありがとうございました」とお礼をし、翁長市長が帰ろうとしたとき、なんと地域の皆さんが拍手で送ってくれたのです。初めての経験でした。翁長市長も私も心のそこから「行動を起こし実行すると、いつかは理解していただけるものだ」と感激し、握手をしたことは本当に今でも忘れられません。翁長市長も忘れていないと思います。

 どんな難問題であっても、地域の皆さんに対し「口先だけでなく、私たちが本当に心のそこから足を運び、行動をおこしていけば理解していただける」ということを自ら証明したのが翁長雄志市長です。

 このように那覇市民のために、そして沖縄県民のために実行し、一生懸命働いている那覇市長を応援することは、公明、自民の皆さんはもちろんのこと、野党の皆さんも含め、我々にとって当然のことだと、義務だと思っています。私も一生懸命がんばって翁長市長を応援していきます。

 本来なら、もっと時間をかけて、そして私の翁長市長に対するおもいも含め「翁長市長は、こういう市長ですよ」といろいろご紹介したいのですが、時間が限られていますのでここで終わらせて頂きます。

 どうもありがとうございました。

   (翁長雄志後援会女性部総決起大会にて、城間俊安南風原町長挨拶)
  
Posted by きじむなーのゆうちゃん at 14:38答えて!教えて!聞かせて!!

2008年11月02日

市民目線の行政運営について

とことん改革!那覇市長、翁長雄志(オナガタケシ)公式サイト

Q.市民目線の行政運営について

                              
 那覇軍港移設に関する協議会設置に向けての政府高官を招いて夕食会の懇談会の中身を見て、私はムラムラと怒りがこみ上げてきたと前に話しましたが、私は自由民主党の県連の幹事長も経験してきましたので、ある意味ではそういった自民党の政府とは一体となって行政運営をすすめていかければならないし、物事を解決しなければなりません。






 しかし私の姿勢は市民本位、あるいは市民の立場に立ってものごとを考える。そういう意味からすると那覇市民の利益にかかわることにつきましては、政党とかイデオロギーは問題ではありません。ですから私の出身母体である自由民主党の大臣といえども、私からすればこれは大変抗議をしながら市民の利益を守る。そういう意味で、私は那覇軍港を那覇においておけという、ある意味ぎりぎりの瀬戸際の戦いをして、この戦いにある意味勝利をして市民への還元ができたと思っています。





 そして、なおかつ野球場が再来年完成するわけですが、それに引き続いて陸上競技場が今度は改築に向かいます。その時には、東京の国立競技場と同じように陸上競技場の中に公式サッカーの試合が出来るようにフィールド、グラウンドを整備します。

 これは観客席を工夫することによって公式サッカー場、あるいはJリーグがここにキャンプに来やすいような、そういったような仕組み、あるいはまたJリーグの公式試合、こういったことが可能になるような奥武山競技場の総合的な改築を、奥武山野球場の次に継続してやっていきたいと思っています。
  
Posted by きじむなーのゆうちゃん at 14:05答えて!教えて!聞かせて!!

2008年10月31日

公開討論会

とことん改革!那覇市長、翁長雄志(オナガタケシ)公式サイト

 10月30日、那覇市泉崎の琉球新報泉崎ビルにて、立候補予定者公開討論会が行われました(主催 琉球新報社 沖縄テレビ放送 ラジオ沖縄)。

 両予定候補はお互いの政策について疑問点などを述べ、議論しました。



 ↑公開討論会に臨む両予定候補



 ↑自身のこれまでの実績と今後の政策について述べる翁長雄志(オナガタケシ)那覇市長



 ↑最後は固く握手を交わした


 この討論会の模様は沖縄テレビ放送やラジオ沖縄でも放送されます。  
Posted by きじむなーのゆうちゃん at 11:36討論会

2008年10月30日

奥武山公園の整備について(3)

とことん改革!那覇市長、翁長雄志(オナガタケシ)公式サイト

Q.奥武山公園の整備について(3)

                                

市長



 那覇市が入ることで何が変わってきたかというと、那覇市が入らない場合には浦添市の振興に関する協議会ということしかできませんでしたが、那覇市が入ったことによって那覇市の振興に関する協議会できるようになったわけです。その那覇市の振興に関する協議会で私が申し上げた3点の協力願いは、奥武山野球場と奥武山陸上競技場の建替え。これを県立から市立に替えていく。那覇市の子どもたちが利用できるような施設に変えていく。これがひとつです。





 それからもうひとつは、中心市街地の活性化。そこには路面電車の導入を含め、国際通りを中心とする中心市街地を活性化して初めて風格ある那覇市がつくれるのだという、こういう気持ちで中心市街地の活性化について力を貸してもらいたい。

それから国場川から、三重城、波の上、若狭に至るウォーターフロントの整備。これは観光立県、そして県と那覇の観光産業の自立ということに関しましても大きな要素を持っているので、その3つを申し上げましたところ、国は了解をし、そして最初は奥武山野球場から作りましょうということで、2年前から奥武山野球場の建設が始まっているわけです。

ですから、これは今の行財政改革の中で大変厳しい環境にありましたけども、防衛省の最大限の補助を得ることによって、硬式野球場、3万人収容、そして大屋根がありますので、1万人余の方が雨にぬれないで内野席で野球を観戦でき、いろんなイベントができる。そういった野球場ができてくるわけであります。





 ですから奥武山野球場の整備については、そういったドラマなくして、出来るものではなかったわけで、私はそういったものを解決するという市長の醍醐味に大変充実感を覚えつつ、今、奥武山野球場の完成を待っているところであります。  
Posted by きじむなーのゆうちゃん at 11:24答えて!教えて!聞かせて!!

2008年10月27日

新聞が書かない政策発表前の反論

とことん改革!那覇市長、翁長雄志(オナガタケシ)公式サイト

 10月25日、翁長雄志那覇市長の政策発表会がありました。
 政策発表の前に、今回の相手候補と目される方からの批判に対する反論を述べましたので、これを掲載します。


市長

 皆さんこんにちは。
 本日はお忙しいところ、マスコミ各位にお集まりいただきまして大変ありがとうございます。
 本日は3期目となる那覇市の戦いに臨むにあたりまして、今後の4年間で重点的に取り組む政策につきましてご報告をさせていただきたいと思っております。
 具体的な政策を申し上げる前に、皆様方のお許しを得て、反論の機会をいただきたく存じます。
 相手候補と目される方が、マスコミ等を通した公の場で、私の8年間の市政運営を事実誤認、あるいは意図的に批判の声を大きくしている点につきまして、この場をお借りいたしまして明確に反論を申し上げたいと思います。
 このことも相手候補との政策の違いが明確になり、政策発表の場に背くことではないと思いからこういう機会を設けさせていただきます。

 1つ目でございますが、市民との対話がないという指摘でございます。これまでの「跳びだせ!市長室」に加えて「市長出前トーク」を新たに開催し、20名、30名という人の輪に自ら飛び込み、その時々のテーマ、例えば「ゴミ問題」あるいは「屋上緑化」の啓蒙、あるいは「保育所の民営化」あるいは「市町村合併」などの市役所の直面する大きな課題についても、言葉を噛み砕きながら、分かりやすくお話をさせていただきました。その数は、100回、200回に留まるものではなく、この8年間では相当な回数に達するものであり、その都度、住民との対話を重ねてきたつもりでございます。
 「ゴミ問題」に関しましては、各地域の辻々に立ち、直接、地域住民に訴える遊説を繰り返してまいりました。「ゴミ問題」は待ったなしの切迫した状況でございましたので、近接する南風原町の各字々にも1年間で100回も出かけ、それこそ膝詰め談判や住民説明会を重ねてまいりました。こうした取り組みがあったからこそ、「ゴミ問題」は大事に至らず、今日の平穏な市民生活が送ることができているものと自負をいたしております。






 それから、職員との対話がなく、強権的でトップダウンだという指摘がございます。
 申し上げました通り、私は常に市民との対話を重視する姿勢を貫いてきたつもりですが、これは職員に対しても全く同様と思っております。
 私は常々「市役所は市民に対する最大のサービス産業である」ということを口にしておりますが、こういったスローガンは、職員の一人ひとりと共有して初めて、全体の大きな力になると思っておりますので、普段なかなか会話をする機会が少ない職員に対しましても、新採用職員研修をはじめとする、各年代層の定期的な研修の場など機会を捉えては、職員に話しをしてまいりました。
 それだけではなく、係長職や課長職あるいは部長職などに昇任をする職員に対しても、紙切れ一枚で昇任を伝えるのではなく、一人ひとり10分程度個別の面談を設定して、市長室にお呼びをして那覇市のこれからの街づくりの方向性について市長としての考え方を直接伝え、想いを共有する努力を重ねてきました。もちろん、私の想いを伝えるだけではなく、相手の言い分、意見にも真摯に耳を傾け、一方通行ではない、双方向のコミュニケーションを図れるよう取り組んできました。こういう取り組みは、調査をしていないのでわからないですが、おそらく全国的に見回しても自治体でこういうことをやった市長は極めて稀ではないかと思います。ましてや、30万都市の市役所でやることも稀だと思いますし、3000名の職員がいる民間企業でも、社長自らが、一人ひとりを呼んで、昇任を伝えること、10分間意見交換をすることも、なかなかないのではないのか思っております。そういう意味では、私なりの対話を重要視してきた一つの証左だと思っております。
 こうした私と市政運営の方向性を共有した職員は延べ、600人に及んでおります。
 それぞれが、それぞれの職場で、大きな志を持って、日々市民サービスの向上に汗を流してくれているものと思っております。このことが、市役所が親切になった、明るくなったという市民の皆様からお褒めの言葉を頂戴しておりますが、それが、一因になっているのではないかと感じております。

 また、トップダウンという批判も全く当たらないと思っております。
 市民の負託を受けた市政運営のリーダは、時に明確な方向性を自ら示すことが必要だと思います。
 特に前市政では、八方美人的な、責任を取らないという体質から「問題の先送り」が頻繁に繰り返されておりました。「問題の先送り」は問題の解決ではなく、解決を一時棚上げしたに過ぎず、いざ、問題に手を伸ばしたときには、より解決が困難になっております。
 私は、これを「負の遺産」と言ってきましたが、先の「ゴミ問題」にいたしましても、現在取りざたされている「塩漬け用地問題」にいたしましても、まさにその典型だと考えております。

 私の1期目の4年間は、これら「負の遺産」の清算に多くの時間を割かなくてはならなかったことが大変残念でありました。
 このような経験もあり、私は市政の最高責任者として決して「問題の先送り」という無責任な態度をとるべきではないと考えております。ですから、時として私自身が先頭に立って、決断をし、そして行動することもありますが、これは、トップダウンとは、全く性質の異なるものであると強く訴えたいと思います。

 ところで、相手方候補は、組合の推薦を受けた手前、どうしても常に組合の顔色をうかがうようになり、痛みや困難を伴う困難な課題に対しては、何ら有効な手を打つことができないのではないのだろうかと思います。
 これを「協調」だというのであれば、全くの筋違いであると言わざるを得ません。単に易きに流れただけであり、ツケを市民に転嫁しただけに過ぎないと明確に申し上げておきたいと思います。

 それから、実績が過去の計画を実行しただけだという指摘があります。
 特に「ゴミ問題」に関しましては前市政の計画を実行しただけで目新しいものではないという指摘がございます。
 当時「ゴミ問題」は、前市政の怠慢により、全く打つ手がなく危機的な状況に直面しておりました。
 そこで、私が直接、解決に向けて地域の方々に対してお詫びを繰り返しながら、対話を重ねてきたわけではございますが職員も雨靴をはいて、あの汚い最終処分場に100名で乗り込んで行ったことが何度もございます。雨靴で中に入り、ゴミの分別をしながら原因究明をし、入手経路をたどって一つ一つに丁寧に説明をしてきたのも職員でございます。
 私は、職員の頑張りをマスコミに報道して頂いて、市民の皆様が、職員もがんばっているな、地域の人にこんなに迷惑をかけているな、だから私達もゴミの分別をしないといけないな、という意識に繋がったものと思っております。
 その一方で、国に対しても、当時は、公共事業費が大幅に抑制される大変厳しい状況下ながらも、あの手、この手で折衝を重ねてまいりました。
 実際に中央省庁間の縦割り行政の大きな壁に何度となく跳ね返されながらも、絶対にあきらめることなく、石に食らいつくかのような折衝を重ね、ついには、異例の海面型最終処分場の竣工に至ったわけでありまして、決して先任者が敷いたレールの上を簡単に歩いてきたわけではないということを強く申し上げます。
 私と危機感を共有した当時の担当職員の奮闘を考えると、職員も大変残念に思っていると思います。

 以上、相手候補の私に対する、見当違いな批判に対する反論を申し上げ、次に、本日の本題であります、これから4年間で取り組む重点的な政策について、各項目を一部かいつまみながら、ご説明を申し上げたいと思います。

  
Posted by きじむなーのゆうちゃん at 11:45答えて!教えて!聞かせて!!

2008年10月26日

奥武山公園の整備について(2)

とことん改革!那覇市長、翁長雄志(オナガタケシ)公式サイト

Q.奥武山公園の整備について(2)


市長

 今まで60年間那覇軍港を預かって、これから移設するにしろ約20年ぐらいは、まだ那覇市が預かる中で、那覇軍港の移設に関する協議会に那覇市が入っていないということは、これはとんでもない話です。

 それで沖縄県の牧野副知事にすぐ電話をいれて「どういうことだ」という話をしましたら、牧野さんも初めてみたということでした。

 明日午後2時に記者会見をするということですから、もう東京に行っての交渉どころではありません。それで私は、私なりの覚悟を持って、午後7時にラグナガーデンホテルに向かいました。

 そこで中谷防衛庁長官、伊藤防衛施設庁長官にこう言ったわけです。あなた方が那覇軍港の移設に関する協議会に那覇市を入れないのであれば、私は明日皆さん方の記者会見の後で私自身、記者会見をして「那覇軍港は那覇においておけ。移設するに当たらない。那覇が預かる」ということの記者会見をしますよ、という話をしましたら、政府の方々は大変動揺いたしまして、私にそういうことはやめてくれという話がありました。





 しかしながら60年間今日まで預かって、これから以降も20年間この那覇軍港を預かる那覇市。あるいはまたコンパスを那覇市の中央から描きますと、新しいところに移る那覇軍港は、決して那覇から遠ざかったわけではない。確かに三重城あたりからは遠ざかったかも知れないけども、安謝や曙、天久の人からすると身近に来た形になるわけで、那覇市からすると、単なる行政上の移転であって、市民から遠のいたという那覇軍港ではないわけで、そういった物の移設に関する協議会に那覇市が入らないということは合点がいかないので、そのまま那覇軍港は那覇市においておけと私は申し上げたわけであります。

 そうすると彼らは私をなんとか思いとどめようとしましたが、できませんということで、席を蹴って帰ってまいりました。翌日午前中、国から示された案はどういうことになっていたかというと、この構成メンバーが国と県と浦添市という表現から、国と県と関係市町村という表現に代わりまして、那覇市が入ることになったわけです。


奥武山公園の整備(3)へ続く
  
Posted by きじむなーのゆうちゃん at 15:23答えて!教えて!聞かせて!!

2008年10月23日

奥武山公園の整備について(1)

とことん改革!那覇市長、翁長雄志(オナガタケシ)公式サイト

Q.奥武山公園の整備について(1)
                               

市長

 再来年には、奥武山野球場が完成するわけですが、今回3万人収容の公式野球場として、新たにスタートします。屋内練習場が無かったので今まではプロ野球の誘致もできませんでしたが、今回屋内練習場も作るのでプロ野球のキャンプの誘致ができる。まだ沖縄に来ていないのは西武、ソフトバンク、巨人軍。やはり私たちはON(王さん、長嶋さん)の中で育ってきた世代ですので巨人を呼んで、プロ野球アイランドとしての沖縄県に大きな意味合い持たすと言うことで、巨人軍が今後キャンプに来るように一生懸命努力をして、私は一定の自信を持っております。






 その中で、仮に巨人軍が来るということは、巨人軍の好き嫌いの問題ではなくて、おそらく那覇に公式野球場ができるということは、リーグ戦がここでやられますので、中日・阪神戦とか、日本ハム・ロッテ戦とか、沖縄シリーズということで、沖縄でキャンプをしているいろんな球団の公式野球が見られると、そういう風に私は思っているわけです。



 そういう奥武山野球場ですけども70億円をかけて作っていくわけですが、これの国からの補助が75%と、これを実は勝ち取ることに大変大きなドラマがありました。それは何かといいますと、もう4,5年前になりますか、私が市長室に午後4時ごろ居る時に一枚の紙が参りまして、本日午後7時からラグナガーデンホテルで、中谷防衛庁長官、伊藤防衛施設庁長官、そして事務次官、あるいは政務官、こういった方をお迎えして夕食会があるから、参加してくれということでありました。



その紙の中身を見ると、その下の方に今回、那覇軍港の移設に関する協議会を次のメンバーで作るというふうに書いてありました。その中身は国、沖縄県、浦添市と書いてあるわけです。10秒、20秒気づきませんでしたが、すぐ30秒、1分になるに従って私の心の中に怒りがこみ上げて参りました。「那覇市が入っていないぞ!」と。



奥武山公園の整備ついて(2)へ続く・・・
  
Posted by きじむなーのゆうちゃん at 12:52答えて!教えて!聞かせて!!

2008年10月22日

ゴミ減量とリサイクル運動について

とことん改革!那覇市長、翁長雄志(オナガタケシ)公式サイト

Q.身近な環境問題というはゴミの問題とかリサイクルの問題ですので、市民が取り組めるゴミ減量運動とリサイクル運動についてお願いします。

                               

市長

 20世紀は戦争の世紀、21世紀は環境の世紀と言われているように、環境問題は人類の生存にかかわる大きな問題になってきています。特に那覇市はISO14001の認証取得を通じて職員の環境問題に対する意識改革に取り組んでまいりましたが、そのおかげで那覇市の環境問題に対する姿勢と言うものは、私は沖縄県含め全国の中でも最先端の都市になってきているものと思います。



 その一つ一つの例を申し上げますと、例えばマイバックの導入。





 これも那覇市が提唱して新都心地区における6つのスーパーにお願いをし、試験的にマイバッグのモデル事業をやってみましたが、スーパーを利用する市民の理解は大変早くて、「マイバックの導入に賛成ですか、反対ですか」ということを数ヶ月実験のうちに聞きましたら、なんと90%以上の方がマイバックについて理解を示しました。それくらい市民は今、環境問題に敏感になっているんだな。そして職員と一体となって環境問題を考えていけるということを気づかされたわけであります。



↑翁長市長、自宅の屋上を屋上緑化しました。


 このような意識の変化は、当然のことながらゴミの減量にも反映されて、23.5%という全国でも有数のゴミ減量のパーセンテージを達成しました。市民の皆様方の見識に、私は心から敬意を表する次第でございます。



↑自宅の手作りの屋上緑化


 屋上緑化や壁面緑化に関しても着々と進んでいます。今、行政施設もすべて屋上緑化、壁面緑化をしておりますし、それから緑のカーテン事業ということで、川崎市と提携をして全国に発信をしているところでありますが、多くの都市が私どもの考え方に共鳴し、今那覇発の緑のカーテン事業がどんどん進んでいます。



↑那覇市役所の屋上緑化


 学校におきましては、今年11の小中学校で壁面緑化や、緑のカーテンができるようになりますし、私はこういったものを通じて、那覇市が環境先進都市としてこれから大きく注目を浴びるだろうと、このように考えているわけであります。








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Posted by きじむなーのゆうちゃん at 18:43答えて!教えて!聞かせて!!

2008年10月20日

ゴミ問題解決にむけて

とことん改革!那覇市長、翁長雄志(オナガタケシ)公式サイト

Q.ISOを取得されて職員の意識が変わったということで、サービスが向上しました。しかし先ほど話が出ましたゴミの話ですね、大変なご苦労があったと思いますけども、どのように考えていますか。

市長

 私が市長になって最初に気づいたのは、前市政の覚書で1年後には最終処分場が閉ざされるということでした。那覇市には最終処分場はありませんから、私はすぐ城間南風原町長に会って、最終処分場の営業延長を申し入れましたが、「地域の人の声を聞け」という話がありましたので地域に入りました。



そうすると、もう恐ろしい罵声が飛んできまして、「ふざけるなと、那覇市民は私たちが20年間どれだけ苦労をしたのか知っているのか。雨の日は嫌なにおいがして、汚い水が流れる。ハエや蚊はたかる。心無い人がテレビや冷蔵庫の壊れたものを投げ捨てて逃げていく。ヘーガサーになったような犬や猫を投げ捨てていく。私たちは20年間窓も開けたことが無いんだぞ。このお前たちのゴミは新都心に持っていけ」というような罵声をどこの地域の懇談会でも言われたわけであります。






 しかしそこで引き下がるわけにはいきませんから、私はいろんな議論をして町民が一番怒っているのが最終処分場の管理であったということに気づきました。そこは那覇市の職員が直営でやっていましたけども、いわゆるお役所仕事、ずさんな仕事でありました。

 

 これを民間委託に切り変えましたら、しっかりとした管理に変わっていったので、南風原町民は「本当にこの最終処分場の管理が良くなった。市長、お前の意見を聞いてみよう」ということになって、いろんな改善策を出し、門口収集含め、資源ゴミの分別やあるいはゴミ減量についても、いろんな意見を出す中でご理解を得て解決をしていきました。



 最後は200名の南風原町民と南風原町長と一緒になって協定書を結んだあの感激は今でも忘れられません。


  
Posted by きじむなーのゆうちゃん at 08:59答えて!教えて!聞かせて!!

2008年10月18日

ISO取得による職員の負担感について 誇り高き職員

とことん改革!那覇市長、翁長雄志(オナガタケシ)公式サイト

■ISOをとる事によって職員の意識が変わったということを聞きましたけども、続けることが大変だと思います。職員の負担についてはどう考えていますか?

                              
市長

 まず、続けることについてですが、民間団体が実施した全国的なリサーチの中で、那覇市はISO9001を活かしている全国一の都市として認定されています。ですから職員が形式的ではなくて、本当に生きがいとして、あるいは職業意識としてISOを自分のものにしたと考えています。


 そして全国のどの都市よりも那覇市がISOに基づいたサービスを本当に充実した内容として市民に提供しているという意味で、全国で一位になったことは、大変私は特筆すべきことだと思っております。


 職員の負担感でありますけれども、窓口が親切になった、明るくなったと市民の皆様から言われるようになったことに象徴さるように、職員が生きがいを感じれば感じるほど、市民の皆さんへの対応は良くなるのであって、負担感の中から親切や、あるいは明るさというものが出てくるわけではないと考えています。



私は、職員は一歩抜け出して大きな、高いレベルの能力を発揮することになった中に、市民の皆様からの信頼を勝ちうることができたという意味では、これは負担という問題ではなくて市の職員が生きがいを感じて、全力をあげてがんばれるような姿勢ができてきたものだと思っています。
  
Posted by きじむなーのゆうちゃん at 11:42答えて!教えて!聞かせて!!

2008年10月16日

那覇市は何故、ISO9001とISO14001を取得したのか

とことん改革!那覇市長、翁長雄志(オナガタケシ)公式サイト

Q.何故 ISO9001とISO14001を取得されたのですか?

市長                              

 私が市長になる前の32年間の革新市政というものは、本当に市民不在の組合主導の行政でした。

私は、職員の意識改革がなくして、市民からの市役所の信頼、職員の信頼を勝ち得ることは出来ないと思っております。その解決のための、ツールとしてサービスの改善指標である国際標準規格「ISO9001」、「ISO14001」の認証取得をしようと決意しました。






それを認証取得することによって、職員の意識改革が出来ると確信しております。

ISO9001認定取得をしたことにより、「市民が本当に困って市役所に電話が入ったときは、翌日には職員が現場に出向き、迅速に問題の解決を図る。」スピーディーな対応、親切な対応を心がけており、市役所の改革に大きく役立っております。

「ISO9001」は、市役所を市民の手に取り戻す、そして職員と市民との信頼が確かなものとなり、問題解決力向上、サービス向上において本当に大きなきっかけになったなと思っております。

今、市民の皆さんから、「本当に那覇市役所は親切で明るくなった」、「那覇市役所は変わってよかったですね」という、ありがたいお褒めの言葉をいただいております。

また、「ISO14001」は、環境問題の国際標準規格であります。

環境問題等に積極的に取り組でおりゴミ問題の解決をはかり、また省エネ対策を推進し、ゼロエミッション推進室という全国に先駆けての推進室を作って、廃棄物のリサイクル化を図ってまいりました。その活動の一環として、屋上緑化、壁面緑化を含め、今那覇市内の環境問題に取り組む姿勢は、全国に評価されており、那覇市は全国の先端都市として頑張っております。






この様に、「ISO9001」、「ISO14001」を取得した意義というものは大変大きなものがあります。また、ある意味、職員の意識改革は、那覇市予算が100億円程、得をした気持ちでおります。それほど職員の意識改革は大事なことであります。


  
Posted by きじむなーのゆうちゃん at 13:20答えて!教えて!聞かせて!!

2008年10月14日

那覇市の行財政改革

とことん改革!那覇市長、翁長雄志(オナガタケシ)公式サイト

 Q.昨今の市町村が破綻をする厳しい行政運営のなかで、那覇市長は、8年間どのような行財政改革に取り組まれたか?


市長

 行財政改革もさることながら信頼される市役所をつくる、信頼される職員になるという意味でも、公務員が優遇されているような今までの制度をひとつひとつ取り除いてまいりました。






 具体的には、特殊勤務手当等をカットしたり、職員の人数を3,200名いたものを現在2,481名と、750名減らすことによりまして、今まで230億円だった人件費を200億円、改革の累計では約130億円の人件費カットを実現したわけであります。

それから、行財政改革には必要不可欠な、民間の力、民間の知恵を借りてやっていくということで民間委託にも相当力を入れてまいりました。保育園の民間委託、あるいはまた給食調理の民間委託、最終処分場の管理の民間委託、その他多くの施設を民間委託に移行しております。





 こういったものを通じながら、行財政改革をしてきたわけでございます。また、東京に那覇市の東京事務所があり、年間3,000万から4,000万の予算を使っておりましたが、インターネットが普及し情報収集が容易になった現代では、その重要度も低下しましたので東京事務所を閉鎖し、そしてまた私の車の運転をしていた公務員もいわゆる民間に委託することによって人件費を4分の1ぐらいに抑えるなど、小さな事も1つ1つ丁寧に見直す中で行財政改革をやって来たわけであります。






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Posted by きじむなーのゆうちゃん at 16:08答えて!教えて!聞かせて!!

2008年10月13日

革新市政の負の遺産について その2「とまりんの問題」

とことん改革!那覇市長、翁長雄志(オナガタケシ)公式サイト

市長

 市長に就任したときの「とまりん」の状況がどういったものであったかというと、83億円の借金と累積赤字が16億円、あと半年あまりで倒産という状況でした。

 それを、防衛施設局を入居させることによって、あるいはまた主要テナントであるかりゆしアーバンリゾート那覇との和解をおこない、それを解決することによって、借金を83億円から60億円を切る、あるいは、累積赤字を16億円から9億円を切る形で、改善をしてきたわけであります。





 その中で銀行関係の金利を4%から2%下げ、親泊前市長の個人保証(連帯債務)も取り除き、「とまりん」問題の一定の解決を見たわけです。

 更にもう一つは、真嘉比古島の区画整理でありますが、特に真嘉比の方は、20年前から整理をしてきたけれども、本当に遅々として進まないで、真嘉比のアイデンティィー、コミュニティーゾーンは見事に崩壊しておりました。




↑真嘉比の再開発区域


 私が8年前に就任したときには、まだ那覇市のお金40億円を入れるべきところを、7,000万円ぐらいしか入っていなくて、文字どおり最初からの仕事でありましたが、私は毎年3億、4億と予算を投じて今やっと90%の進捗率をみて完成を間近にしております。

 真嘉比の地域の人たちが、本当に20数年間どれだけの思いで地域のコミュニティーを壊され、苦しんできたかという思いにつけ、今やっと完成の姿が見えつつある真嘉比古島区画整理を見るにつけ、革新市政の負の遺産は、これで片付いたと考えています。



  
Posted by きじむなーのゆうちゃん at 10:31答えて!教えて!聞かせて!!

2008年10月12日

革新市政の負の遺産について その1

とことん改革!那覇市長、翁長雄志(オナガタケシ)公式サイト

 革新市政の一番の負の遺産は、イデオロギーにとらわれすぎた為に、組合主導で市政が運営されていたということです。

 私が市長になるまでは、組合員が窓口の奥で勤務中にもかかわらず、職員に立会演説を行って政治活動したり、あるいは組合員の権利を主張したりしていました。つまり、市民の側にたった行政とはいえなかった。それを私はこの8年間で、「市役所は市民に対する最大のサービス産業」というスローガンを掲げながら、職員の意識改革に取り組んできたわけです。




↑南風原町にある焼却施設。当時、ごみ問題は一刻の猶予もなかった。

 個別的に言いますとゴミ問題の解決、20年間ほったらかしにされて、南風原町の皆さんに大変な迷惑をかけたこの問題を、私は1年間で100回、毎晩足を運んで向こうの地域住民とひざ詰め直談判をして、罵声を浴びせられながらこの問題を解決しました。大変苦しい話し合い交渉ではありましたが、南風原町の皆様のご理解を得たわけです。そのとき一番、ご理解を得られたのは最終処分場の改善でありました。

 それまでは、組合員が5時に帰るには、3時までが仕事だというかんじで勤務時間を短くしたりして、最終処分場の管理がずさんであった。ずさんな中で、いやな臭い、汚い水が流れていくようなことがあって、付近の住民の皆さんは20年間窓も開けられなかったそうです。




 そこで、最終処分場の管理を民間委託に切り替えたことで、最終処分場がしっかりと管理されるようになり住民の皆さんから、「あなたが市長になったから本当に最終処分場がきれいになった。あなたの話も聞いてやろうじゃないか。」ということになり、ゴミ問題が解決できました。いかに「組合主導の行政」と「職員が意識改革を行った行政」が違うかということをご理解いただけると思います。


  
Posted by きじむなーのゆうちゃん at 19:39答えて!教えて!聞かせて!!

2008年10月12日

翁長雄志出馬表明

とことん改革!那覇市長、翁長雄志(オナガタケシ)公式サイト

一.はじめに

 -那覇市長の戦いへ三たび、出馬するにあたって-

 八年前、私の人生のすべてとも言える熱き思いが実り、愛してやまない故郷・那覇市の舵取りを任されました。寄せられる祝福の嵐の中で、期待の大きさと責任の重さを痛感しながら、私はひとり「風格ある県都・那覇」の創造にこの身を捧げる決意をいたしました。


  


 こうして歩んできた道のりは決して平坦なものではなく、どこを向いても課題が山積するいばらの道の連続でした。時には思わず後ずさりしたくなることもありましたが、決して目を背けることなく常に真正面から課題に向き合い、ひとつひとつ着実に解決し、ここまで一心に歩みを進めてきたものと自負しております。

 はじめの一期・四年間はそれまでの長期革新市政が招いた低迷と停滞に終止符を打ち、閉塞感だけが漂う市役所への信頼回復に全力を傾けました。続く二期目は取り戻した市民との信頼関係をもとに、市民参画による「協働のまちづくり」の推進に力を注ぎました。こうして那覇市は今、「風格ある県都・那覇」に向かって着実に進化を遂げているものと考えています。





 さて、私の那覇市長としての二期八年間の任期も間もなく終わろうとしています。ここで改めて、初めて政治の世界に身を投じたあの日のことを静かに思い返してみました。三四歳で那覇市議会議員としての初陣を飾ったあの頃は、一途に政治を市民の側に引き寄せることに没頭する毎日でした。あれから23年、市議、県議、市長と、与えられた職責は少しずつ大きくなっていきました。しかし虚心坦懐に自分自身をみつめ返すと、決してその地位に慢心することなく政治を志した若きあの頃の熱き想いが、今なお私の心の多くを占めているとの思いを強くいたしました。

 その瞬間、今後も責任を持って市政運営に臨むことができると確信し、従来にも増して新たな意欲と情熱が心の底から湧いてきました。そしてここに、三たび那覇市の戦いへの出馬を決意し、有権者の皆さまの審判を仰ぐことといたしました。


二.実績から振り返る二期八年の総括

-思い切った改革の連続で、次々に公約を実現-

 駆け抜けた市長としての八年間の足跡を振り返ると、多岐にわたる分野で実に様々なドラマがありました。前市政から引き継いだ「負の遺産」の清算に多くの時間が割かれたほか、新しい課題には知恵と工夫で応えたことなど、この間に着実に公約を実現し、成果を積み上げてきたものと考えています。

 市民の皆様からは、特に二つの点についてお褒めの言葉を頂きます。ひとつは「市役所が変わった」ということであり、以前とは比較にならないほど丁寧に親切で明るくなったという評価です。二つ目は、待ったなしの「ごみ問題」に粘り強く取り組み、解決を図ったということです。

 前者は「市役所は市民に対する最大のサービス産業である」というキャッチフレーズのもと、職員の意識改革を進めながらISO9001を認証取得したことが大きな転機となりました。時として「お役所しごと」と揶揄される仕事のやり方自体を大胆に見直し、市民の目線に立った改善を図りました。来庁者の多い部署での窓口業務の時間延長や、三・四月の繁忙期における土日窓口の開設などは大きな成果だと考えています。

 そして後者のごみ問題。今でこそ何事もなかったかのような毎日を過ごしていますが、当時は市民生活を麻痺させかねない危機的な状況でありました。最終処分場の使用期限が目前に迫りながらも、前市政では何ら有効な手立てが講じられず、周辺住民の心が硬く閉ざされていたからです。このまま手をこまねいている訳にはいかず、これまでの過程を率直に反省しながら、周辺地域の色々なところで切々と私の思いを訴えることから始めました。地域自治会での膝つめの談判では、当然のことながら毎回厳しい罵声が浴びせられました。しかし、何度も足を運ぶうちに少しずつ誠意が伝わり、それまでの罵声がやがて共感、共鳴に変わり、ついには最終処分場の使用期限延長の合意に至ることが出来ました。その後急ピッチで新最終処分場の建設に取り組み、所管する中央省庁の縦割り行政に苦しみながらも、異例の海面型最終処分場の竣工にこぎつけることが出来ました。さらに、より環境負荷の少ない次世代型ごみ焼却炉を新たに建設するとともに、地域住民が憩う場として多目的広場や運動機器を備えた地域還元施設「環境の杜・ふれあい」を開設し、一刻の猶予も許されなかったごみ問題を一挙に解決することができました。


  
↑南風原町にある焼却施設。当時はごみ問題は一刻の猶予もなかった。


 さて、旺盛な行政ニーズは多様化する一方で、国の進める未曾有の三位一体改革などもあり、本市の財政状況は益々厳しさがつのるばかりでした。この難局に対し、行政再改革を断行することで活路を見出すこととしました。IT化や事務の効率化、民間委託などを進めながら750人の大幅な人員削減を成し遂げ、更に市長をはじめとする特別職の給与カットや職員の給与制度、諸手当ての見直しを行い、人件費の抑制に努めました。削減した人件費総額は約28億円にも達しています。そのほか、東京事務所の閉鎖や副市長専用車の廃止、弔電の廃止など、大きなものから小さなものまで聖域を設けない改革を続けました。その結果、苦しい台所事情ながらも増大する福祉ニーズに、H12年に比べて111億円増の福祉予算でなんとか対応することができたものと考えています。

 記憶に新しい夕張市(北海道)の出来事は地方自治体であっても、もはや「破産」する時代であることを如実に物語りました。第3セクターなどの「隠れ借金」が原因の一つですが、那覇市においても決して他人事ではありません。市民の目には触れにくいものの、土地開発公社が先行取得したいわゆる「塩漬け用地」が多数存在するからです。このまま放置すれば、土地取得に要した元本だけでなく雪ダルマ式に増え続ける利子が、近い将来大きな重荷になることは明白でした。新都心地区を中心とした塩漬け用地、いわゆる隠れ借金が元本として180億円、利息として80億円、合計260億円借金を持っていましたが、いま、50億円まで減らしまして、22年度までには解決する予定です。巷間、取りざたされる先行取得用地の処分は、まさに手遅れとなる寸前の適切な対応であったと胸を張ることができます。

 また、次代を担うこども達の健やかな成長を願い幅広く施策を展開したことも、大きな成果のひとつと考えています。厳しい財政状況だからこそ、敢えて目的を特化した2億円の「こどもみらい基金」を創設し、財源の確保に努めました。

 県内で初めて女性助役を登用し、続く副市長にも二代続けて女性を起用したことも特筆されます。教育行政の分野でも女性教育長を誕生させるなど、各分野において幅広く女性を登用した結果、男女共同参画に関する内閣府の調査では県下一位に輝いています。

 平和を希求する心は誰にも負けないと自負しています。わが国の経済成長の裏には先の大戦で失われた、あまたの尊い人命のことを忘れてはなりません。保守や革新といった表層的な区分にとらわれることなく、是々非々に徹し、自らの信念を貫きました。非核宣言自治体協議会での活動や米軍等に起因する事件・事故に対しては、その都度怒りの声を上げてきました。

 ゆいレールの車窓からは建物を覆う緑が目に映ります。見る人に安らぎを与える屋上・壁面緑化も随分と浸透してきました。今では、環境教育の観点からこども達を巻き込み、緑のカーテン事業として拡大しています。


  
↑市役所屋上。庭園として市民に開放されている。


↑市役所の壁面緑化

 こうして歩んできた道のりですが、やはり市民サービスの最前線に立つ職員の理解と協力なしには公約の実現は成しえなかったものと考えています。就任直後、私を知る職員は極めて少数でした。それが、今では多くの職員に支えられていることを実感しています。対話を重ね、まちづくりの理念を率直に語るうちに、市政運営の方向性を共有できたものと思っています。
 二度にわたる戦いのたびに示してきた公約は、その多くが実現に導かれたものと自己評価し、「風格ある県都・那覇」へ向け、着実に歩みを進めた2期8年であったと総括します。

三.おわりに

  -市政の総決算、そして、その先に目指すもの-

 最近、自治体や通り会、NPOや各種団体との連携が急速に進んでいます。道路や公園の管理のみならず、子育てや環境、教育の各分野で「協働のまちづくり」が広がっています。市民の持てる力を市政に発揮する仕組みができてきました。

 「よい暮らしより、楽しい暮らしを」

 昨年の暮れに頂戴した一葉の葉書に記されていた言葉です。モノが溢れ、一見豊かにも見える生活よりも、他者や地域との繋がりのなかで個々の心の中に本当の豊かさが感じられる生活を求めようというものです。かつて物質的な豊かさを追求しすぎたあまり、多くの大切なモノを失ったことを戒める含蓄のある言葉として心に響きます。

 市政の総決算として、いよいよ「風格ある県都・那覇」に協働のまちづくりという最後のピースをはめ込みます。完成後のその先には、日々の生活が笑顔にあふれ、それぞれに「楽しい暮らし」が実現される、そんな心の故郷・那覇を目指していきたいものです。

 今回、那覇市の戦いにあたりまして相手候補と思われる方が、「チェンジ那覇」という言葉を使って、出馬表明をされたとお聞きしました。私からすれば、この那覇市はもう変わったんだ、生まれ変わったのでチェンジはもう済んで居ります。このチェンジを更にチェンジするということは、元に戻すということでありまして、私から言わせて頂ければ、これは【No Return(ノー・リターン)】「元に戻すな!」であります。

 この【No Return】を実行するために、また「協働のまちづくり」をしっかりと完成させるために、更には21世紀に向けたイデオロギーを抜いた、市民の目線に立った、市民本位の市政を築くために、私は3期目への出馬を決意しているところでございます。

  
Posted by きじむなーのゆうちゃん at 17:50答えて!教えて!聞かせて!!

2008年10月11日

翁長雄志市長の行政運営に対する基本的考え方

とことん改革!那覇市長、翁長雄志(オナガタケシ)公式サイト

 「市役所は市民に対する最大のサービス産業でなければならない」
 職員の意識改革、あるいは市民本意の政治。こうゆう物は、大変大切なことです。

 私の姿勢を市民の皆さんにより分かりやすく理解していただくために、私はあの鉄のカーテンといわれたソビエト連邦の大統領であったゴルバチョフさんを那覇市にお迎えして、「あの東西冷戦はおわったんですよ」、「あの55年体制というものは終わったんですよ」ということを市民や県民に見てもらうことによって市民の心、県民の心を一つに出来るような一つの題材として、およびいたしました。






 その効果は、大変大きなものがあったと思います。ですから那覇市の職員も、そういった私の姿勢に、「この人は、市民本位の政治をしてくれるんだな」ということでISO9001、ISO14001の認証取得にしても積極的に取り組んでくれました。両方のISO認証取得は、全国の3,000自治体の中でも10に満たないと聞いております。

 市の職員には、サービス品質の向上を心を一つにして取り組んでもらいました。そのお陰で、「市役所は大変親切になった、明るくなった」という評判を多くの市民の皆様から頂きました。



■ゴルバチョフ氏来訪記念碑■

「2001年11月14日、那覇市政80周年記念講演の為に、元ソ連邦大統領

ミハエル・ゴルバチョフ氏が那覇市を訪れた記念で立てられた記念碑です。」

 そしてまた、ISO14001の環境問題の認証取得によって、ゴミ問題の解決を含め那覇市内の環境問題で、全国に先駆けるような街に切り替えてゆく職員の原動力になったと思っております。そういったものの中に私は、「市民の喜びを職員の誇りとする」、「市民の喜びを職員の生きがいとする」という、市民と職員との心の一体感を作り上げてきたつもりであります。

 一期4年間はそういった作業をしてきましたので、市民の皆様方は、職員の頑張りを十二分にご理解いただいていると思います。これから以降は、「職員と市民の協働のまちづくり」ということになるわけです。




「世界には困難な問題が多いが、みんなが協力してその問題を解決しなければならない。

何故ならば、わたしたちはみんな同じ地球という惑星の子どもなのだから。」

(2004年11月14日  ゴルバチョフ氏の色紙メッセージ訳)



■このゴルバチョフ氏来訪記念碑は、那覇市役所敷地内にあります。  
Posted by きじむなーのゆうちゃん at 16:57答えて!教えて!聞かせて!!

2008年10月11日

なぜ翁長雄志は政治家を目指したのか?

とことん改革!那覇市長、翁長雄志(オナガタケシ)公式サイト

 私の親父も兄貴も政治家であったなかで、小さな頃から活動の渦の中で生きてきました。小学校4年生ぐらいからポスター貼りを手伝って、それ以降そういうことを繰り返してきたわけですが、そういった15回の戦いをやるなかで、子供心あるいは成長するにつれ、沖縄県民が招いてきた基地ではないのにもかかわらず、それをはさんで革新は平和だ、保守は経済だと言うようなニュアンスで本当にそれこそ県民が2分されてお互い憎しみ合うというものを肌で感じてきました。




↑23年前那覇市議初挑戦の時の写真☆出陣式のダルマの目入れ式


 こういった憎しみを乗り越え、県民がひとつになって、沖縄問題を解決できるようなものにしなければならないと小さいころからずーっと考えていました。その中で父が那覇市と合併する前に真和志の村長、市長をしたこともありまして、政治家を目指すのであれば那覇市長になりたいなと思うようになりました。



↑23年前の写真です。出陣式を終え遊説に出発する、オナガタケシ



 また行政の長の方が県民の心、市民の心というものを一つに出来るのではないかと思い、23年前に那覇市会議員を皮切りに政治家としてスタートしました。

 そして、私自身強い気持ちで将来那覇市長になりたいと夢を持ち、さらに市民の心を一つに出来るような、イデオロギーを乗り越えるような、そういう政治をするのだということでやってきたわけです。

 有難いことに8年前に那覇市長に就任して、これまでの8年間初心を忘れることなく一生懸命やってきました。

 そのスローガンの一つが、市役所は「市民に対する最大のサービス産業でなければならない」、「市民の幸せを職員の誇りとする、生きがいとする」「那覇市の職員になってよかった、公務員になってよかった」、こういった職員の意識改革を築くことによって、市民の市役所への信頼を勝ち取る。

 これが私の第一番目の目標でありました。



↑那覇の開南新栄通りを歩く、「オナガタケシ」那覇市議一期目挑戦の頃の写真です。

  
Posted by きじむなーのゆうちゃん at 16:14答えて!教えて!聞かせて!!